この度、弊社従業員N氏より実家の祖母のタンスを整理していたら別添写真2種類の砂糖(布製)袋が出て来たとの事(伺いますと、N氏の祖父が戦前美幌駅前で和菓子屋を営んでいたとの事。店は戦争により閉店、祖父が他界し戦後は祖母が食品雑貨屋を経営していたとの事。)で、ご連絡と同時に写真を提供戴きました。拝見しますと右側が「台湾製糖㈱」車糖(上白糖)用、左側が弊社の前身「北海道製糖㈱」H2(上白糖)用でした。何れも解体された状態でした。
当館既収蔵の「北海道製糖㈱」の袋は継ぎはぎされた状態の物で、今回寄贈戴いた砂糖袋の方が表面がシッカリと表示(どこの会社の袋かが明確)された物で、状態も良く保存に値する価値の有る物でした。右側の「台湾製糖㈱」※明治33年(1900年)台湾南部に進出した「国策会社」として位置付けられた会社でした。台湾総督府の保護奨励と井上馨侯爵等有力者の後援を得て、資本金100万円(2万株)を以って設立。宮内省が1000株を引き受けたことで、これが出資者の呼び水ともなりました。
当館既収蔵の「北海道製糖㈱」の袋は、本社管理課経由で当館収蔵となった物で、表示の「H2」は帯広工場で昭和6年~18年迄、磯分内工場では昭和11年~18年迄製造。物資の少ない時代で空き袋は、シーツやあて布として使用、大切に保管されていた様です。
今回の貴重な収蔵品は、帳票等により記録(写真を含む)を残し後世に引き継いで参ります。
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