北海道庁(当時の北海道長官、宮尾舜治)は、大正12年在日ドイツ大使館を通じてビート栽培に優れたドイツ人2家族を招聘し、進んだ栽培技術・営農方法を実践公開し、当時「地力略奪農法」からの脱却を図るべく取組みを行い、内ひと家族(グラバウ氏)が当社の前身北海道製糖㈱帯広製糖所社有地内農場に入地、当初道庁との5年契約の所、子息の教育の関係で1年早く、4年間滞在後に帰国しています。
そのグラバウ氏家族が住んでいた宿舎(当時ドイツで一般的な農場宿舎図面をもとに建てられた、宿舎・畜舎)の「絵はがき」を紹介します。
そしてもう一枚の写真は、北海道製糖㈱が昭和7年11月編纂した「第13製糖期記念写真帖」の一ページ。下の中央の写真、鉄道職員5人が写っていますが、背景の建物に気が付かれた方もいらっしゃると思います。
グラバウ氏家族が住んでいた農場宿舎を移築して十勝鉄道の「帯広大通驛」として使われました。
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